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まだまだ続くし~付点の足音~

(10)**リハ病院10/14~10/25

(10) 2003/10/14~10/25

まえへ(9)



自宅復帰 リハビリの日々へ




    ~TV~




  *転院91日目*   2003 10/14(火)  

家族が帰って来ただけなのに、外泊の後はやはり疲れます。
昨夜は実家の母も電話をかけてきましたが、うまく対応できず早々に切ってしまいました。
疲れたままで話をしていると必ず母とはケンカになるから不思議です。
ごめんね、お母さん。

今日は病院は休みにしたので一日ゆっくり過すことにしました。

定例FAXを会社に送信し、ノートの整理と外泊時の献立を記入していたら半日が過ぎてしまいました。

病前shinが会社から帰ってくると、私が見ているTVのチャンネルを変えてしまう事がよくありました。

「疲れている時はスルーッと流して見れるものがいいんだ」とか言っていました。

疲れているなら見なきゃいいじゃない…とも思いましたがテレビっ子?のshinはテレビがないと過せない人でした。

shinが病気になってから私の好みが変わりました。
以前見ていたようなシリアスなドラマなど、夜の8時を過ぎるととても見る体力はありません。

かと言って音も画もないのも何だか心細い気がします。
スルーッと流す…と言う事が理解出来ました。

あの頃はshinと私の疲れ方のレベルが全然違っていたのですね。全く分からないことでした。
shinが病気になってからやっと思い至ったのですから、ノンキというか鈍感というか・・・。

急性期のH病院ではshinはあまりTVを見ようとしませんでした。野球や相撲などをつけたりしましたが、以前のように興味を示しませんでした。

F病院に移ってからはちょうど甲子園やプロ野球も佳境に入るシーズンで、少しずつ見るようになってきました。

ただF病院はテレビカードを購入しイヤホンを使ってTVを見るのですが夜などつけたまま寝ているらしく、一晩でカードの残がなくなる事もしばしばです。

親切な看護師さんは見回りの時にそっとスイッチを切ってくれたりするようですが。

H病院は何時間見ても一日500円というシステムだったのであまり見ないshinには勿体無かったのです。
でも今になってこれだけ見るのなら一日500円の方がよかったなぁ…なんてケチな事を考える私です。



***********



   ~栄養指導・・・塩分 ~


   *転院92日目*   2003 10/15(水)  


2時ごろ病院へ着きました。
shinの部屋は6人部屋ですが、皆さんほどほどの距離を持ちつつ仲がいいのです。話が合うと言った方がいいでしょうか。

年令はshinが一番若くて49歳。
最年長の方でも60歳そこそこで皆さん日常の動作も自立しておられます。

会話の内容も多岐にわたり、いつ行っても誰かと話しをしているshinです。

転院当初は物の名前がなかなか出てこなかったりもしましたが、毎日病室で楽しい会話が出来る状態はどれだけshinのリハビリに役立っているかと思うと本当に感謝です。

3時から栄養指導パート2です。
今日は「塩分」について。

カロリーは見た目でもかなり判断できる部分がありますが塩分は見えないだけに問題です。

日頃の料理の仕方や食べ方などのチェックもありましたが、大きな過ちは無かったようです。

毎食お漬物がかかせない、何にでもお醤油をかける、ラーメンのスープは全部飲む…などありませんかと質問されました。

ただ一日7グラムの塩分だとほとんど「塩」としては取れないことが分かりました。

すでに調味料、加工品などに含まれているからです。
カマボコやハムなどの加工品はかなり塩分も多く、要注意だと思いました。

外泊中の献立表を渡して栄養指導は終わりました。
サンプルの調味料や資料などたくさん貰いましたが、気楽にやるようにとアドバイスを受けました。

次女の迎えがあるので早めに病院を出ました。
今日は塾が長引いて40分ほど待ちました。
エンジンを切って仮眠です。今はどこでもどれだけでもすぐに眠れます。

今日も会社からは連絡がありませんでした。
電話が鳴るたびにビクッとしてしまいます。



**********




   ~ハサミ~



    *転院93日目*   2003 10/16(木)  


2時のSTに間に合うように家を出ました。
午前中ソワソワしましたが今日も会社からの連絡はありません。

久々のST見学です。
どこがどう…とはっきりとは分からないのですが、前回よりはshinの受け答えやその内容のレベルが上がったように思うのは気のせいでしょうか。

何を聞いても「同じ言葉」で答える時期がありました。
これは何?・・・「新聞」
今朝何を食べたの?・・・「新聞」
明日のリハビリの予定は?・・・「新聞」
という具合に一つの言葉に拘ってしまうのも失語症の典型らしいのですが、最近はかなり減ってきたように思います。

自分でも答えてから違っているのはウスウス分かるらしいのですが、でも正しい言葉は出てこないので本人もとてももどかしそうにしていました。

思っている事と出てくる言葉のギャップから人によっては癇癪を起こしたり短気になったりするらしいのですが、shinはそこまで深刻にはならなかったようです。

OTはストラップのサイズに皮をカットし(もちろんハサミで)つやだしまでが今日のdutyのようです。

皮も結構厚くハサミを右手で使うのも大変そうです。
目が真剣になりハサミを動かす度に口も一緒に動きます。

次女がハサミを使い出した二つか三つの頃、こんな目つきと口元だった事を思い出し、ちょっと可笑しくなりました。
親子ってこんなところが似るんですね。

何となく電話も気になり早めに帰宅しました。
ひと足早く帰っていた次女が、洗濯物を取り入れお風呂もためてくれていました。
 
shinが病気になってから子供達は本当によく協力してくれるようになり、私も助かります。



**********



  ~薬の管理~




  *転院94日目*   2003 10/17(金)  

久々のPT見学のため午前中病院へ行きました。
早く着いたので3Fへ上がると主治医のK先生からお話がありました。

昨日より一週間分の薬管理にするべく、夕食後薬剤師と看護師が病室で○さんに説明をしました。
       ↓
説明後、練習のため17日分の薬を○さんの薬トレーにセットしました。  
       ↓
その後、別の看護師が来て「16日分の薬を飲んでないですね」と○さんに指摘しました。(ナースセンターでshinのお薬管理については申し送りがなかったようです)
       ↓
○さんは「あれ、そうだっけ?」と言い、さっきのお薬の管理の話は思い出せなかったのです。
       ↓
事情を知らない看護師は私(K先生)と相談の上、16日の朝のお薬だけを○さんに飲ませました。
       ↓
その後ナースセンターで真相が分かり、○さんはまだお薬管理能力が無いので、お薬は一日配薬になりました。
       ↓
こちらの手違いで○さんを混乱させ余計なお薬を飲ませてしまいましたが、今朝のお薬で調整をしましたので体調への影響はないと思います。申し訳ありませんでした。
ただお薬の管理はまだ無理なようですから、従来どおりの一日配薬にします。

…このような説明でした。
確かに私は昨日は午後から病院へ行きましたが、shinの薬は夕食分だけが残っていたのを覚えています。

ふ~んお薬管理については看護師の判断で決まる病院なのね・・・と思いつつも、ミスをはっきり述べて謝って下さった主治医の行為は信頼できると思いました。

そういえば先日F病院の系列病院で大きな医療ミスがありニュースになったばかりです。
その影響もあるのかもしれませんが、患者や家族としては隠されるよりはっきり言ってもらった方がいいのかな…と思いました。

今回の事でshinの記憶のレベルもはっきりしました。
でもめげていても前へは進めません。
もう少し良くなる、もう少し出来るようになる、もう少し…shinの回復を信じる事にします。



**********


   ~待つ・・・ ~



   *転院95日目*   2003 10/18(土)  

午後から次女と病院へ行きました。
ノートをデイルームで記入した後、先日からshinが作っていたストラップのパーツが出来ていたのでマルカンに通してみました。

デイルームの明るい照明の下だと小さい作業でもよく見えます。何だか3人で内職をしているようです。

ちょうどI先生が通りかかってので出来上がったストラップを早速見てもらいました。
「○さんなかなか良い出来ですね」と誉めてもらいshinも嬉しそうです。

「その後会社からは…」と先生も心配そうに聞かれます。
まだ連絡なしです・・と答えると「もう少し待ってみましょうか」・・・そうもう少し待つしかないようです。


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   ~季節・・・変わる ~




  *転院96日目*    2003 10/19(日)  

天気も良く早めに病院へ行きました。
「シロ○マのアイスを食べたい」とshinが言うので時計台広場に行きました。
このアイスは312号室の人気商品で、皆さんよくおやつに食べているようです。

アイスの中にカットフルーツとあずきが入っているアイスバーなのですが甘みも程よく美味しい。
今日は気温も高めだったので外で食べましたが、だんだん冷えてきました。

夏とは日差しの角度もすっかり変わり、3時過ぎるとどこのベンチもほとんど日陰になっています。
季節が変わった事が実感されます。

私は季節の変わり目も変化があって好きですが、今は早く季節がすすんで欲しいような進むのが恐いような複雑な気持ちです。

この1週間会社から連絡が無かった事についてshinと話をしました。
shinも気にしているようです。
答えが無い事が答えでしょうか。

明日定例FAXを送り、水曜日まで待ってみようと決めました。



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    ~定規でピシッと… ~



  *転院97日目*   2003 10/20(月)   

午前中PTを見学しました。
なかなか右の摺り足が直りません。
と言うよりshinの意識の問題でしょう。

「先生、定規を持って一緒に歩きましょうか。右足を上手く使えないときは後ろからピシッと…」O先生は笑っていますが
私は半分本気です。

shinも懸命にリハビリはしているのですが、歩いているうちに問題意識が薄くなるようです。
ちょっと走ったりルームランナーで早歩きをした後は、足も上手くつかえる事も多いので、運動機能の問題ではなくやはり意識の問題でしょう。

地区のリハビリ教室の事を介護保険の担当の方に教えてもらいました。
水曜日に開かれているようなので、今週の水曜日に見学してみようかと思います。

担当看護師のIさんに相談したところ「どんどん行ってください」とOKが出ました。
会社からの返事がなかなか来ず、shinも気にしているようなので気分転換に外出してみようと思います。

次女は学校から観劇に行きました。
修学旅行前なのに慌ただしいなと思いましたが、ダメもとで6年の先生が応募したら3クラス分の席が当たったそうです。
楽しい事は沢山あったがいいですね。



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   ~延長戦・・・2ヶ月OK ~





   *転院98日目*   2003 10/21(火)  

朝一番でshinの会社のKさんより電話がありました。

「休職延長2ヶ月OK]との事です。
あ~よかった。この10日間の長かった事。
また一つ問題をクリア出来、嬉しさがこみ上げてきました。

早速SWのUさんに電話で報告しました。
Uさんも一緒になって喜んでくれました。

明日4時にKさんが病院まで来て下さるので、またお部屋を取ってもらうことにしました。

shinもKさんからの返事を聞いてホッとした様子です。
明日細かい事は分かると思いますが、本当にヤレヤレです。

OTのI先生、PTのO先生にも早速お知らせしました。
どちらの先生もとても喜んでくれました。
あ~良かった。

今日から高校生の長女は中間試験です。
12月のスキー合宿に参加したいと試験の目標値を出しました。

ご褒美つきの試験は基本的に好きではないのですが、本人もヤル気になっているようだし、今年は随分シンドイ思いもさせたので、私もOKしました。



***********


   ~退院・・・決まる~





   *転院99日目*   2003 10/22(水)   

今日と明日、次女は日光へ修学旅行です。
たった1泊ですが楽しんできて欲しいものです。

今朝は雨になり大きなリュックが可哀相だったので駅まで送りました。長女の登校時間に合わせたもので少々集合時間には早かったのですが。

それでも校長先生を始めぼちぼち子供達も集まりだし、雨にも負けず皆ウキウキしているのが分かり私も嬉しくなりました。
やはり行事は沢山で楽しみたいと思います。

Kさんとの約束の時間が1時間早まったので病院へも早く着きました。駐車場も空いていたので、30分ほど車で仮眠を取りました。
以前は集中力?が無く車の中では寝れませんでしたが、F病院の地下駐車場はいい具合に照明も暗く、車をロックし、シートを倒すとすぐ寝れる私です。

地区センターへの外出許可も貰っていましたが、時間が重なったのでキャンセルしました。

約束どおり3時にKさんがみえました。
「電話でのお話の通り、休職延長は2ヶ月です。復職は来年1月とお考えください。それ以上の延長は認められませんので予めご承知おきください」との事でした。

主治医のK先生やリハビリの先生達は「せめて来年の4月、できれば発症から一年の6月まで延長できたら…」と言われますが、転職後わずかしか会社に貢献していないshinには無理な話なのです。
あと2ヶ月だけでも延長できた事は感謝しなくてはいけません。

大切な話が済むとKさんのお顔もほころびました。
「いやぁ、私も実は血圧が高く薬も飲んでいるのですよ。小さな梗塞も二つ三つあるんですがね…」と言われました。

先日のカンファレンスでshinの梗塞も写真で見たのですが、
ここでマイナス情報は出せません。
「Kさんもお大事になさってくださいね」と言うのが私には精一杯でした。

さあ、これで懸案事項が一つ解決しました。
婦長さんやK先生からも「退院は~?」とそれとなくプレッシャーもかかっていたので、急ですが今週の土曜日に退院する事にしました。

F病院では例外もありますが入院期間は3ヶ月が普通のようです。入院中は偶数土曜と日曜日を除いて毎日リハビリがあります。

外来になると週に1回のリハビリが原則ですから、入院中は一週間で外来1ヶ月分になります。

「皆さん少~し引っ張るのよ」と先に退院された方から聞いていましたが、shinも予定より10日ばかり過ぎてしまいました。

ベット待ちをしている方もいるかもしれません。
普通の病気と大きく違うのは「全快」と言えない事でしょうか。

段差の解消や手すりの増設、トイレの改装など退院にあたり自宅の大きな改修が必要な方はそれが済むまで退院できません。

shinの場合はありがたい事に介護保険を利用してお風呂に手すりをつける程度で済みそうなので、これ以上は延ばせないと思いました。

ナースセンターで「あのぉ、急なんですけど」と退院の希望を伝えると「あらぁ、本当に急ですねぇ」と看護師さんも笑います。
1週間くらいは余裕を持たせなくてはいけなかったようです。


延長になった2ヶ月は有効に使わなくてはいけません。
焦りは禁物ですが、ノンビリ過していてはきっとあっという間に過ぎてしまうでしょう。
ある程度優先順位をつけて過ごす事になると思います。

診断書、紹介状、請求書、証明書…一度に沢山の書類が必要になりました。
しばらくは忙しい日々が続きそうです。

今夜はshinは勿論、次女もいないので静かな夜になりそうです。



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   ~修学旅行 ~




   *転院100日目*   2003 10/23(木)  

午前中のSTに間に合うように病院へ行きました。
S先生にこれからの事を相談しました。

勿論通院STは続けます。
家庭で出来る事は
1いくつかの条件を出して買い物や家事をする。
2ニュースを見て(新聞、TV)間を空けてトピックスを書く。
3文章を読んで質問をする。
などをアドバイスしてもらいました。
最初の方向が一つあれば段階的に進んでいけると思います。

昨日はOTのI先生はお休みでしたので、昨日の面会の話も報告しました。
 
夕方日光から次女が帰るので私も早めに帰宅する事にしました。
小雨の中、無事小学6年生は帰って来ました。

4年前の長女の時は横浜からの電車の乗り降りでしたが、今日の帰りは特別電車で最寄り駅まで乗って帰ってきました。
「ふん、今どきの若い子はいいわね!」と長女は言っていましたが…。

僅か一日の旅行でしたが、楽しい事は沢山あったようで話は止まりません。
決まった額のお小遣いでそれぞれにお土産まで買ってきています。

疲れていたのでしょう。
話すだけ話したら、夕食もそこそこに寝てしまいました。
明日は時差登校なのでゆっくり休めます。



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   ~金曜日は…麺の日!~



  *転院101日目*   2003 10/24(金)  


両親も朝から外出し、次女も時差登校で10時過ぎに学校へ行きました。

昨日と変わってとてもよいお天気です。
午前中から病院へ行き、PTを見学しました。
相変わらず右の摺り足はそのままです。
O先生も苦笑いです。

先生がちょっと忙しくお昼になってしまいました。
「金曜日は麺の日だから、○さん延びないうちに食べておいでよ。午後からもうちょっとやろう」とO先生が言います。

「へー金曜日は麺の日ですか」とshin。
「あれ、気づかなかったの?ボク麺が延びないように金曜日は
気を使ってたのにナァ」とO先生が笑います。
「先生、ごめん。知らなかったよ。ありがとうございます」

きっといろんな場面でいろんな方々にお世話になったshinでしょう。そしてそれに気がつかなかったshinでしょう。
皆さん本当にありがとうございます。

明日はPTのS先生がshinの歩行の様子をビデオ撮影したいとの事で午前中は忙しいようです。

午後から最初に同室だったKさんと時計台広場でお茶をのみました。
まだ日差しが残っていたのでホッコリと気持ちが良い午後でした。

Kさんも奥さんもとても気持ちの良いご夫婦で子供達にも親切にしていただきました。
ひと足先にshinが退院する事になりましたが、Kさんのお宅はわりと近いので外来でお会いする事になるでしょう。

デジカメでshinとKさんの写真を撮りました。
数枚撮ったうちの一枚は右手で小さなピースを作って写っていたKさんです。お別れ前にKさんのお茶目な部分も知りました。

明日の退院には次女も一緒に来てくれるはずですが、いらない物は先にもって帰る事にします。
季節が変わって衣類は入れ替えもしたのですが、100日を過すと荷物もいつの間にか増えていた事が改めて分かりました。

shinがOTで作っていた皮細工のストラップも完成し、色画用紙の台紙に
「社会復帰を目指し 新たなリハビリのスタートです。shin」と書き、切込みを入れてストラップをはめ込みました。


shinストラップ


マドレーヌ用のセロファンの袋がジャストサイズだったのでそれでラッピングをし、お世話になった同室の方やスタッフ、先生方にもお配りしました。

7月に転院して来た時はまだ歩く事もままならず、車イスの操作も上手く出来ず…と今思えば背中がぞっとするような状態でしたが、先生方のお蔭で退院の日を迎えようとしています。

当初はリハビリの成果も見えず本人も短気になったりやけになった事もありました。
私もそんなshinをしっかり受け止める事も出来ず、悩んだり落ち込んだりの日々でしたが、根本的に二人ともノウテンキだったのでしょう。
あまり深刻にもならずに過す事ができました。

子供達や家族、友人知人の励ましは本当にありがたいものでした。
またF病院の先生方のある種使命感に満ちたリハビリは、本当に鮮烈かつ的確だったと思います。

厳しいリハビリでしたが、もしかしたらこれからの道のりの方がもっと大変なのかもしれません。

でもこの100日間があったから、また先生方のサポートがあるからこれからも頑張れる…そう信じたい私です。



**********



   ~退院…新しいスタート ~



  *転院102日目*   2003 10/25(土)  

いよいよ退院の日になりました。
午前中はOTとS先生のビデオ撮影の予定があるので、次女と私は午後から病院へ行きました。

病室へ入ると昨日用意していた服にもう着替えています。
さらに荷物までまとめてあります。
shinの弾む気持ちが分かります。

同室のYさんは外泊ですでにお帰りでしたが、他の方には皆さんにご挨拶が出来ました。
お隣のベットのYTさんは吉祥寺の有名な和菓子屋さんの最中を奥さんがshinの退院に合わせて買ってきて下さったようで、shinも感激しています。

「来週から外来リハで来ますから、また顔を出します」とshinが言うと「待ってるよ~」と皆さんも笑顔で答えてくれました。
また会えると分かっているお別れですが、楽しい312号室だったのでshinも名残惜しそうです。

ナースセンターでお薬をもらっていると、Tさんの奥さんがわざわざ病室から出てきて挨拶して下さいました。
Tさんとは転院当初、食事の時にコミュニケーションが上手く取れずにケンカのようになった事がありました。

ちょうど私もその時は居合わせたので驚いてしまったのですが、その後shinはTさんと気持ちが通じるようになっていました。

Tさんは失語症があり、なかなか言葉が出てこないのですが
shinは「おはよう」とか「どう調子は」などと話しかけを続けTさんも表情でshinに答えてくれるようになったようです。

312号室の皆さんとも、出ない言葉をお互いにフォローしたりしながらいい交流ができ本当に感謝していますが、Tさんとshinとは最初にいきさつがあっただけに二人の関係!が微笑ましく嬉しく思いました。

奥さんは「嬉しいじゃないですか。退院おめでとうございます。ウチも頑張るから、○さんも頑張ってリハビリ続けてくださいね」と言われました。

肝心のTさんは外泊の予定だったそうですが、風邪を引いてしまい外泊延期になって少ししょげているそうです。

退院の嬉しさとは別に、後から入って先に出てしまうようで何だか申し訳ないような気持ちにもなりました。
Tさんの回復を心から祈るばかりです。

ニコニコのshinは杖1本、私と次女は沢山の荷物を持って帰宅しました。
長い入院生活でしたが、とうとう退院する事が出来ました。


   *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
日記の一番最初に書きましたが、shinの発病一年を前にして私の精神状態がとても不安定になりました。
あれこれ原因を考えてみましたが、shinの発病した日が近づき私の気持ちが揺れているのだと思い至りました。

当の本人は発病前後の記憶がほとんど無いため、「何ともないよ」といたってノンキです。
OTのI先生は「覚えていない方が楽な場合もあるのですよ」と言われました。
確かにそうかもしれません。

ただ私の気持ちも整理しなくては…とずっと思っていたので
この並行日記をつけ始めました。
入院中の記録ノートが5冊、退院してからも数冊ありますが
もう一度読み返してみると随分忘れている事もあったり、逆に昨日の事は思い出せなくてもノートを読んで鮮やかに蘇る事もありました。

私の最近の記憶力の低下を考えればやはりキチンと記録に残しておいたが良いと思いました。

当初は退院までを一つの区切りにしようかと思っていましたが、この後もいろんな事があったのでもう少し続けてみようと思っています。

4ヶ月あまり、このシンドイ系の日記を読んで下さって本当にありがとうございました。
ネットのマナーも知らずに始めたので、随分失礼もしてしまい後から冷や汗が出たことも実はありました。

その一方で改めて励ましていただいたり、新しい出会いがあったりと、不安の中で始めた並行日記にも沢山の喜びもありました。

更に続くシンドイ系なのでアクセス数は日々減っていくかもしれませんが、もう少し頑張ってみようかと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。




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